文章の練習にぼちぼち書くもの

2次元と2.5次元が好きな審神者がいろいろ書く予定です

謎に泣くオタク

おはようございます。二度目の昼間の更新です。仕事をしているときはどうしても夜の更新になってしまいますが、寝落ちするリスクと隣り合わせなのでいつもヒヤヒヤしてるんですよね。

その点、昼間の更新は良い。たとえ途中で寝落ちしてしまっても夜までには起きられるからブログの更新が途絶えるというリスクがない。夜までに起きられるかどうかは別として。

昨日はブログの更新をお休みしましたが、それは面倒だったとかうっかり忘れてたとかではなく、「あえて」ということを強調しておきます。

おそらく自分でも「なんでこの日更新してないんだ!?」となると思うんですが、「あえて」ですよ、「あえて」。疲れたからお休みにするって自分で決めたんですよ、おばあちゃん。

 

祖父のお通夜は16日、告別式は17日に行われました。

親戚のもぐりなので、お通夜に集まった親族の4分の1くらいしかわかりませんでした。ほかの人たちは名前どころか顔も知らない、どなたさまですか?状態。

お通夜の日にやっと祖父の遺体と対面したのですが、いやあ遺体って冷たいんですね。少しなら触ってもよいと言われたので顔にそっと触れてみたんですが、びっくりするほど冷たいの。びっくりした。

病院で付き添いをしていた時も冷たいなあとは思っていましたが、そんな比ではありませんでした。氷かと思った。

でもとても安らかな顔をしていたのでよかったなと思います。最後に付き添いをしていた時、本当に苦しそうな呼吸をしていたので、ようやくあの苦しさから解放されたんだなと思ってうれしかったです。

そして私が知らない4分の3の親族たちも、向こうは私のことを覚えてるんですよね。幼稚園の頃に会ったことあるのよ~まあまあ立派になって~という感じで。

人見知りスペシャリストの私が親戚とはまったく目も合わさずに、ひたすら従姉妹にくっついて回っていた話とか、何も話さないのにマジックでふすまにいたずら書きをしていた話だとか、(なんで私こんな大勢の人の前で公開処刑されてるんや……)という恥ずかしさで爆発しそうでした。

社会人としての経験を積んだ人見知りスペシャリストに進化しているので、今の私は「いやあそんなこともありましたかね、お恥ずかしいです。HAHAHA」と返せるんですが、学生までの私だったら真っ赤になってうつむいてたのが関の山だったと思います。厚かましくなったわね、私。

幼少期のエピソード大暴露事件が起こったお通夜でしたが、そこで祖父の病状の話も聞くことができました。

祖父、癌を患っていたんですが、もともと癌があった場所から鼻や目等のいろいろな場所に転移をしていたらしいです。

だから最後のほうは目もよく見えていなかったのではないか、という話でした。

ただ、いろいろなところに転移をしていても唯一脳にだけは一切転移をしなかったので、意識だけは最期までしっかりしていたんじゃないか、と。

私はその話を聞いて大暴露事件の後ではありましたがちょっと泣きそうになりました。泣かなかったけど。意地っ張りだからよ。

最期まで聡明な祖父のままで亡くなったんだなと思って。身体はほとんど動かせなかったけど、それでもたまに手を動かそうとして反応してくれていたのはちゃんとこちらの声が聞こえていて、「ちゃんと聞こえているよ」と教えてくれようとしていたのかなって。ちょっと泣けてきた。

お通夜の時はいろんな親族や地元の人がかわるがわるやってきて、なんだか祖父がずっと遠くの人になってしまったような気がしました。

日曜日まではあの一つの病室の中で二人きりで過ごしてたのに、本来ならばこんなにたくさんの人に囲まれる人なんだなあと思いました。

 

告別式もそりゃもうたくさんの人が来ましてね。何百人も来てくれて。母が「おじいちゃんのことを悪く言う人はいないよ」って言ってたんですけど、その通りだなと思って。

私にとっては優しい祖父なんですけど、それはほかの人たちに対しても同じことで、だれに対しても分け隔てなく接してたんですね。

地元で困ったことがあれば相談に乗って一緒に解決して、地区や町の役員もたくさん引き受けて。

告別式の中でお坊さんが故人のことを偲んで故人の人生を振り返ってくれたんですけど、「穏やかな人柄でだれに対しても愛をもって接し」「一日も休むことなく働き続ける勤勉な人柄」「本を読む静かで穏やかな後ろ姿」とかあの場で言われたらね、そりゃ泣きますよ。

実の子たち(親)が泣いてる姿は一度も見なかったんですが、その代わりかよってレベルで孫号泣。同居していたわけでもないんですが。同居していた従姉妹の一人も同じレベルで泣いてたから仲間です。

本当はあそこまで泣く予定ではなかったんですが、やはり最期の日まで一緒に付き添っていた身としてはこれまでの二十数年のこととか、最期の日のこととか、たくさん蘇るわけですよ。泣くなというほうが無理。

親が泣いている姿、私はまだ一度も見ていない(涙ぐんでいるところすら見ていない)んですが、強いというかなんというかちょっと心配になりますよね。

悲しいときは泣いて、うれしいときは笑って、つらいときも泣いて、ってしていないと心は壊れてしまうと思うんですがね。私も一回壊れてしまって今も治しているところですし。

そんな親は今も告別式の翌日だというのに畑仕事に勤しんでいます。もしかしたらすごく祖父と似た者同士なのかもしれない。祖父も近しい人が亡くなったからといってずっと休んでいるタイプではないので。

身体を動かしていたほうが余計なことを考えずに済むっていうこともありますもんね。現に私はブログを書きながら涙ぐんでいるわけですしね。

人が亡くなるとなんでこんなにお通夜だとか告別式だとか色々あるんだよ!?とこれまでの私は思っていましたが、今回初めて実感しました。

人の死を受け入れるためにはこれくらいの時間が必要だって。といっても本当に最初の部分だけですよ、完全に受け入れるにはもっともっと時間がかかると思います。

それでも最期の日まで一緒に過ごせて、無事に火葬までお見送りができたのでよかったかなと思います。

ありがとう、おじいちゃん。天国ではずっと働いてるんじゃなくて、たまにはゆっくり休んでね。

 

話は大きく変わりますが、刀剣乱舞くんは江戸城が始まりましたね。

そして予想していた通り6/30まで江戸城をするようですね。きっと秘宝の里にそのまま突入パターンだろうか。

江戸城はなんといっても低レベルの極打刀を育成するのにぴったりなイベントなので、今回の私は下記のような編成で江戸城の超難をめぐっています。

 

蜂須賀さん(極)44

加州くん(極)46

むっちゃん(極)47

日本号さん(極)46

蛍丸(極)35

ずおくん(極)49

 

刀装は全員に軽歩兵やら軽騎兵やら適当につけています。普とかもつけてます。

小判は75万ありますが、はたしてどこまで減るのやら。

極の薙刀(静さん)も入れてみたんですが、やはり35とかでは刀装をなでるのが精いっぱいだったので、大阪城で地味に育てるしかない気がしています。

江戸城にどこまで課金するべきかはとても悩んでいるところですが、今月は刀ステの物販で散在しているのでカードの締め日まで待って考えることにします。ご利用は計画的に。

 

もうすぐ3千字に到達してしまうので、今日のブログはこの辺りで終わることにします。

夏と言えば西川貴教の「HIGH PRESSURE」ということでひたすら聴きながら今日のブログを書いていました。うっかり貴教を何回聴いたかわからない。ではでは。